菅野志桜里氏と「皇統クラブ」を作ったが、これは
菅野さんに「お膳立て」を整えてもらうためのクラブ
ではない。
「愛子天皇」の実現に対して、わし自身が「本気」なら、
わしが個人でやることが原則である。
どんなに恥をかいても、どんなに怒りに震えようとも、
わしはわしを甘やかすことはない。
菅野さんに言われたが、男はわしを恐がるそうだ。
女はそれほど恐がらないと言う。
菅野氏の要望としては、政治家に会う場合、双系派だけ
でなく、男系派にも会って、全部抱きしめてほしいそうだ。
男系派に会うのはやぶさかではないが、抱きしめるのは
相当にハードルが高い。
仏陀にならなければならない。
それでは『ゴー宣』が面白くなくなる。
その矛盾をどう乗り越えるか? もの凄い試練だ。
『ゴー宣』は現実とリンクしながら現実を変えてきた。
オウム真理教も、薬害エイズ問題も、歴史認識問題も、
現実との格闘を描きながら、現実を変えてきた。
『愛子天皇論3』はそのスタイルを採る。